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- 大和町(近世)とは
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![]() | 大和町(近世) 江戸期~明治初年の町名江戸期は若松城下郭外北部のうち下町に属し,当麻【たいま】町の北に続く町名は慶長年間頃に佐瀬大和が郎等どもをおいたところより起こると伝える長4町33間・幅4間余化政期の家数80軒(新編会津)「新編会津」には「赤岡分の地雑れり」とある寺院は真言宗金剛寺・浄土宗大安寺・真宗本願寺派光明寺金剛寺は会津真言四か寺の1つで,もとは郭内米代【よねだい】にあったが,蒲生氏郷の支配下であった時に当町に移された大安寺は文禄3年の創建という光明寺は郭内五之丁から天正9年当地に移ったという(同前)年未詳だが,明治初年上大和町・中大和町・下大和町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」