ケータイ辞書JLogosロゴ 矢原村(近世)


京都府>宮津市

 江戸期〜明治22年の村名。丹後国与謝【よさ】郡のうち。「慶長郷村帳」の栗田【くんだ】村のうち。はじめ宮津藩領,寛文6年幕府領,同9年宮津藩領,延宝8年幕府領,天和元年以降宮津藩領。村高は「延宝郷村帳」75石余,「天保村々高帳」では栗田組に所属し111石,「宝永村々辻高帳」同高,「享保郷村帳」112石余,うち新田改出高1石余,「宝暦郷村之覚」同高,「天保郷帳」112石余,「旧高旧領」111石余。文久年間の船数は小船25。幕末の草高は111石余,年貢率は定免で4割6分2厘5毛。高掛物86石余,山手運上米1石余,稲木運上銀・肴運上銀など22匁余。戸数22,うち百姓21・水呑1,人口111。慶応2年の洪水で1軒が半壊となる(与謝郡誌)。社寺に三宝荒神・薬師堂,名勝に女島がある。産物の歯抜砂は庭敷に好適とされる(丹哥府志)。当村では地曳網が行われたという(京都府漁業の歴史)。明治4年宮津県,豊岡県を経て,同9年京都府に所属。同21年の戸数22(市町村合併史)。同22年栗田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7380715
最終更新日:2009-03-01




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