ケータイ辞書JLogosロゴ 万町(近世)


京都府>宮津市

江戸期の広域町名宮津城下六町組の1組万町と金屋谷で町組が構成されていた寛文初年以前の地子地は高25石余で,ほかは皆原村の小散田地(地方秘鑑)同6年の反別は1町4反余で地子米は16石余(京極丹後守様御上地町地子並ニ家別)家数は,寛文6年162軒,元禄16年163軒,寛保4年162軒(981人),宝暦年間160軒余,明治維新以前240軒(宮津旧記・宮津府志・丹後宮津志)貞享元年大野村の水晶山の開発について藩から募集があり,当町の3人が応募した同3年の年寄苦労米は2石余であった天和2年当町の住民は御用金65両を藩へ上納したまた,例年の山王祭礼の練物芸として,当町は塩を扱っていることにちなんでハマグリ踊を披露したという(宮津旧記)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7380861
最終更新日:2009-03-01




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