ケータイ辞書JLogosロゴ 浅香山村(近世)


大阪府>堺市

 江戸期〜明治22年の村名。摂津国住吉郡のうち。はじめ幕府領,寛文2年大坂城代役知,幕末に再び幕府領となる。村高は,摂津高改帳で100石,延宝4年の摂津国郡村々高帳(関西学院史学1)および摂津草高帳ともに140石,「天保郷帳」57石余,「旧高旧領」では「浅香山〈同流作共〉」と見え同高。宝永元年の大和川付替工事による潰地は6町9反余,石高は84石余(松本家文書/柏原町史)。同工事が全延長約8,010間・総人足数244万人を要したのに対し,依網池から浅香山谷に至る400間は全体の約5分の1にあたる約48万人を要するものであった(大和川付替工事史・依羅郷土史)。寺院は融通念仏宗地蔵寺,神社に稲荷神社がある。明治4年和泉国大鳥郡に転属。同9年の人口49。同14年大阪府に所属。同22年五箇荘村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381042
最終更新日:2009-03-01




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