ケータイ辞書JLogosロゴ 鰺生(古代)


大阪府>摂津市

 平安期から見える地名。摂津国島下郡のうち。「続日本紀」延暦4年正月14日条に「遣使堀摂津国神下,梓江,鰺生野,通于三国川」と見え,低湿地である当地は,増水時には水害の危険性が増すため,改修工事により淀川の流水の一部を三国川筋へ通そうとしたものと思われる。なお,地内の「宮の内」と称した所(現摂津市別府)に,鰺生神社があったが,延暦4年の川の開削工事のため移転して,現在の摂津市別府【べふ】・一津屋・新在家の3か所に分祀されたという(全志3)。また「日本書紀」孝徳天皇白雉元年条に,「幸味経宮,観賀正礼〈味経,此云阿膩〉」とあり,同2年条によれば,「味経宮」において僧尼らに一切経を読ませている。「日本紀略」にも同様の記事が見え,同宮は,難波長柄豊碕宮造営中の仮住まいの1つと考えられる。「万葉集」巻6の「難波宮にして作る歌」にも「御食向ふ 味原の宮は 見れど飽かぬかも」と詠まれている。味経宮の比定地に関しては従来より上町台地説と淀川北岸説の2説がある。前者は現在の大阪市天王寺区小橋町付近とし(地名辞書),後者は摂津市別府付近に比定している(五畿内志)。また「万葉集」巻6に収められた笠金村の長歌に「沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は 廬して 都なしたり」と詠まれた味経原の比定地も詳細は不明であるが,現在の摂津市の一津屋・新在家・別府付近とも,大阪市の天王寺区味原町・味原本町・下味原町付近とも考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381060
最終更新日:2009-03-01




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