ケータイ辞書JLogosロゴ 池田川村(近世)


大阪府>寝屋川市

江戸期〜明治16年の村名河内国茨田【まつた】郡のうち古川上流域の平坦地に位置するはじめ幕府領,安永7年大坂城代役知,寛政元年からは幕府領(同11年〜天保11年は摂津高槻【たかつき】藩永井氏預り地)池田村が池田中村・池田川村・池田下村に分村して成立村高は,「天保郷帳」では池田河村と見え550石余,「旧高旧領」でも同高もと淀川南流の川床にあたる旧池田村域では農家の副業として白瓜の促成栽培が行われ,当村が最も盛んであった天保13年には,相撲・芝居行事などの人寄せ差止め,諸商人差止めとともに,当村の白瓜作りの差止めがなされた(寝屋川市誌)寺院に浄土真宗大派妙隆寺がある明治9年の人口は池田中村・池田下村とともに池田村として704同11年の村況は,田方の約65%が両毛作で,裏作は麦・菜種・小麦,畑方の約50%綿作・雑作50%,移出品は米450石・麦20石・菜種130石・白木綿700反,移入品は油・酒・紙・炭などで,農民の貧富については「三分中,七分貧,富は無」と記されている(同前)明治14年大阪府に所属同16年池田村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381261
最終更新日:2009-03-01




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