ケータイ辞書JLogosロゴ 石津町(近代)


大阪府>堺市

 昭和14年〜現在の堺市の町名。昭和55年からは1〜4丁がある。もとは堺市神石村大字上石津の一部。主要地方道大阪和泉泉南線・第二阪和国道に面し,旧集落を囲む形で都市化が進む。江戸期からの木綿晒(和晒)が零細な工場形態で続く。昭和14年一部が旭ケ丘町・霞ケ丘町・石津ケ丘となる。昭和25年の人口2,767,同40年の世帯数883・人口3,653。昭和18年浜寺町大字下石津の一部を編入,一部が浜寺石津町東1〜5丁となる。同31〜34年にかけて,一部が緑ケ丘北町1〜4丁・霞ケ丘町1〜4丁・協和町1〜5丁・高砂町1〜4丁・老松【おいまつ】町1〜3丁・石津北町となり,旭ケ丘町・浜寺船尾町東1〜4丁の各一部を編入。また,同55年,一部を神石市之町・浜寺石津町東1〜5丁に編入し,同時に浜寺船尾町東1〜4丁・浜寺石津町東1〜5丁の各一部を編入。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381302
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ