ケータイ辞書JLogosロゴ 石見川郷(中世)


大阪府>河内長野市

 室町期〜戦国期に見える郷名。河内国錦部【にしごり】郡観心寺荘のうち。観心寺七郷の1つ。初見は,永享9年10月日の南条盛成寄進状(観心寺文書/大日古)の「くわん心寺ほんたうきしんしたてまつるとうゆ田こふか同いしみ川」であるが,他の観心寺七郷同様,南北朝期頃から存在したものと思われる。文亀元年12月8日の観心寺七郷田数算用日記によれば「五段大四十九歩〈此内一反小四十九歩新〉石見川」とあり,年月日不詳の観心寺七郷納帳に「一石六升 石見川」とある(同前)。天正9年6月28日の観心寺衆の集儀として書き置いた観心寺山帳(同前)に「〈小屋ノ谷〉一ケ所 石見川ニ有 作人与三左衛門」とあり,このほかに石見川の「ヨシキ谷,クツカケ,ミヤマ口〈モリノモト共云〉,カラヲ,風カタワ〈チハヤ峠共云〉」が記されている。また,天正8年10月24日および同10年10月24日の観心寺郷中収納米上日記案(同前)には「渡し方」として「弐斗 石見川薬屋へ下行」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381320
最終更新日:2009-03-01




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