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- 市之町(近世~近代)とは
「市之町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 市之町(近世~近代)
江戸期~昭和53年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうちもと天満8・9丁目の一部(初発言上候帳面写/大阪市史5)天神橋北詰東へ3筋目,浜から鳥井筋までの町(宝暦町鑑...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7381399]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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市之町(近世~近代) 江戸期~現在の町名西木屋町通松原上ル3丁目の町寛文10年鴨川新堤築造とともに町地となり,市之町と名づけられた(坊目誌)元禄前後には出典不明ながら「角倉町」とよばれたこともあったようで(坊目誌),宝永2年洛中洛外絵図には,現町名とともに当町の高瀬川沿いを「市之丁裏」と記す貞享4年の家数9,宝暦4年の家数23,うち本家5・借家18,人口104(北村家文書)江戸期は巽組の高瀬組明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】12番組,同5年第14区と改称,同25年第14学区に編成明治12年下京区市之町,同22年京都市下京区市之町となり現在に至る人口増減率(昭和40~50年)23.4%減 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」