ケータイ辞書JLogosロゴ 市場村(近世)


大阪府>高石市

江戸期〜明治18年の村名和泉国大鳥郡のうち大阪湾と信太山丘陵の間に位置する江戸初期に綾井村から分村寛永9年旗本中坊氏知行,寛文4年幕府領,元禄2年側用人柳沢吉保知行,同7年武蔵川越藩柳沢氏領,宝永3年幕府領,宝暦13年清水家領,寛政7年幕府領,文政7年清水家領となり,安政2年からは幕府領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに342石余清水家領上組9か村に属し,当村の井上長左衛門は赤畑村の高林清左衛門とともに弘化4年取締役となった寛政の改革以来の社倉も井上方に設置されていた嘉永3年夕雲開【せきうんひらき】の小作人が小作料の減免を嘆願した際,井上長左衛門の調停で小作人の要求が通ったこともあったが,同7年人口250人中極貧者は25%に当たる63人にのぼった(堺市史)安政2年の上知には,ほかの清水家領の各村とともに反対の嘆願をしたが容れられなかった村内東方に浄土宗専称寺があるが,同寺の山号城蹟山は,寺地が中世の綾井城址にあったことによる寺堂は元禄年間の建立という大歳神社は明治42年富木【とのぎ】の等乃伎神社に合祀された明治14年大阪府に所属同18年綾井村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381408
最終更新日:2009-03-01




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