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- 井口(中世)とは
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井口(中世) 室町期から戦国期に見える地名美濃国厚見【あつみ】郡のうち井ノ口とも書く長良【ながら】川左岸の平坦地と金華山の付近に当たるか初見は,応永9年4月5日付の足利義満袖判下文で,「美濃国厚見郡内井口弐分方 武家二郎左衛門入道跡」を進士九郎右衛門尉氏行に「簱指之賞」として宛行っている(前田家所蔵文書)戦国期に入り,「厳助往年記」天文4年2月14日条には「濃州大洪水,於枝広・井口間,人流死二万余,家数万家流失,奇代俄事也」と記す次いで同23年3月5日斎藤道三は「井口道場」に「為寄合所条,借宿事」を免除している(浄安寺文書)下って永禄10年9月地内東部の稲葉山城(井口城)陥落後,織田信長は尾張政秀寺の沢彦宗恩の進言により中国の故事にならい当地を岐阜と改称した(安土創業録) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
井口(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」