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- 上杉村(近世)とは
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![]() | 上杉村(近世) 江戸期~明治7年の村名山鹿郡のうち菊池川支流岩野川下流左岸に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」336石余もとは杉村の一部で,同村が上・下2か村に分かれて成立寛永12年の御蔵地拼一紙帳では,御蔵地が「上杦村」「下杦村」に分けられており,うち上杉村の御蔵地は高137石余・反別12町3反余となっている(山鹿市史)「肥後国誌」では,山鹿手永内の杉村に「里俗上杉村ト云」と見え,高332石余,小村に小峰村・境村などがあるまた同書には,稲荷大明神宮・森天神・毘沙門堂・観音堂2・曹洞宗日輪興国禅寺が見える日輪興国禅寺は日輪寺と通称され,赤穂浪士のうち熊本藩預りとなった大石良雄以下17人の遺髪供養塔があるなお文政9年の山鹿手永高物成并惣軒数等書付(肥後国郷村明細帳2)では「上下杉村」として一括され,竈数52・人数275,馬45,紺屋1人・屋根葺1人・桶屋1人,給人7人などとある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年杉村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」