ケータイ辞書JLogosロゴ 海塚村(近世)


大阪府>貝塚市

 江戸期〜明治22年の村名。和泉国南郡のうち。岸和田藩領。村高は,元和5年の村高書上(要家文書)によれば276石余,四郡高附では正保2年378石余,「天保郷帳」では泉郡のうちに貝塚村として見え381石余,「旧高旧領」では海塚村貝塚新町とともに378石余。「五畿内志」に見える「属邑一」とはこの貝塚新町を指すという(全志5)。年貢率は享保6年では6割1分6厘(要家文書)。「鬼洞泉州志」によれば,農産物は木綿・菜種・瓜・茄子など。神社は神明神社・菅原神社・八幡神社・海門神社。4社とも明治42年10月阿理莫神社に合祀された(全志5)。寺院は浄土宗知恩院末竜雲寺(別名南三昧庵)。明治5年海塚新町を分離。同9年の人口224。同14年大阪府に所属。同22年麻生郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381643
最終更新日:2009-03-01




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