ケータイ辞書JLogosロゴ 大枝村(近世)


大阪府>守口市

 江戸期〜明治18年の村名。河内国茨田【まつた】郡のうち。江戸初期に小高瀬村から分離して成立。はじめ幕府領,天明4年京都所司代役知,寛政6年からは幕府領。村高は,河内国輯録では村名見えず,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに615石余。なお「天保郷帳」には「小高瀬大枝村」とある。また「五畿内志」には「旧作大治江」とある。元禄7年から守口宿定助郷高587石を勤めた(守口市史3)。寛政4年の宗門改帳(守口市史1)によれば,家数66軒,うち寺2軒・道場1軒・家屋敷持24軒・水呑39軒,人数283,うち男152・女126・僧5であった。文化12年では家数72軒・人数314,元治2年では71軒・274,牛7であった(同前)。鎮守は産土神社(大枝神社)。寺院は浄土真宗大派勧正寺・本派光明寺・興正寺派金剛寺。明治9年の人口は馬場村・世木村とともに673。同14年大阪府に所属。同18年高瀬村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381776
最終更新日:2009-03-01




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