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- 大国郷(古代)とは
「大国郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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大国郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」筑前国席田【むしろだ】郡三郷の1つ「延喜式」の大宰府に向かう官道の大路に置かれた筑前国の久邇駅は,当郷にあったと考えられ,席田郡唯一の駅で駅馬10匹を置いた「古今著聞集」に嘉保3年大宰権帥源経信が大宰府に下向する途中,観月の宴を行った莚田駅【むしろだのえき】はこの駅ではないかとされ,源経信はここの槻が観月の邪魔になるので切り倒したというが,貝原益軒はこの槻のあった所が槻隈でのちにそれが訛って月隈となったという(続風土記)旧席田郡東部の南北に延びる丘陵地帯の中程から平野部にかけて広がる,現在の上月隈・下月隈に蓆田駅すなわち久邇駅があったとすれば,その一帯が大国郷の所在地であったということになる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大国郷(古代) 平安期に見える郷名愛智【えち】郡のうち「和名抄」に見える愛智6郷の1つ延暦15年から延喜2年にかけて29通の土地売券が存在(平遺)売券は大部分東大寺僧安宝・依知秦公浄男・調首新麿・依知秦公福行の土地集積を物語るもので,特に,僧安宝は約10年の間に浄男ら6人から計1町3反余の地を買得し,のちの東大寺愛智荘(のち大国荘とも呼ぶ)の基礎を作った当時の条里では愛智郡8条以南から13条(愛知【えち】川北岸)に至る地域で,高野村・黒山などという地名も見える現行の愛知川町豊満【とよみつ】・東円堂,湖東町清水・小田苅【こたかり】・菩提寺【ぼだいじ】を含む地域と考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大国郷(古代) 平安期に見える郷名愛智【えち】郡のうち「和名抄」に見える愛智6郷の1つ延暦15年から延喜2年にかけて29通の土地売券が存在(平遺)売券は大部分東大寺僧安宝・依知秦公浄男・調首新麿・依知秦公福行の土地集積を物語るもので,特に,僧安宝は約10年の間に浄男ら6人から計1町3反余の地を買得し,のちの東大寺愛智荘(のち大国荘とも呼ぶ)の基礎を作った当時の条里では愛智郡8条以南から13条(愛知【えち】川北岸)に至る地域で,高野村・黒山などという地名も見える現行の愛知川町豊満【とよみつ】・東円堂,湖東町清水・小田苅【こたかり】・菩提寺【ぼだいじ】を含む地域と考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大国郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大国郷(古代) 平安期にみえる郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大国郷(古代) 平安期にみえる郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」