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大里郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」山城国紀伊郡八郷の1つ天平勝宝元年11月3日大宅朝臣可是麻呂貢賤解に「山背国紀伊郡大里郷戸主茨田連族智麻呂」とあるのが初見この文書には別に彼と同一氏族の「茨田連族小墨」が「紀伊郡邑薩里戸主」として出現する(東大寺奴婢帳)この邑薩里戸主小墨の名はこれより先,上記の文書と内容の関連する天平13年6月26日山背国移にも見えるが,これは文書の内容からして,少なくとも養老7年以前の実態を述べたものと考えられる双方勘案すると大里郷と邑薩里は同一で,霊亀元年に里を郷と改める以前には邑薩里であったものが,遅くとも天平11~12年以降大里郷となったと推定される宝亀3年2月14日の優婆塞貢進文に「大里郷戸主秦広吉」とあるのを最後に郷名は見えなくなる(同前)現在地未詳 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大里郷(古代) 奈良期から見える郷名「和名抄」安房国平群【へぐり】郡十郷の1つ東急本の訓は「於保佐止」正倉院御物の布袍墨書銘に「平群郡大里郷戸主□(丸カ)子部三国戸服織部□(尼カ)万呂」とあるが(正倉院宝物銘文集成),国印からみて,平群郡が上総国に併合されていた時期のものと考えられる「地名辞書」は平久里川上流域の河谷,近代の平群村(現富山町平久里中・平久里下付近)に比定するが,「地理志料」は大里は郡家所在地の謂とみて,安房国府(現三芳村府中付近)の南,江戸期の大作村(現館山市山本)付近に比定している... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大里郷(古代) 「和名抄」に見える郷名足立【あだち】郡七郷の1つ比定地は蕨【わらび】・笹目【ささめ】・川口のあたりを当てる説(地名辞書),大調【おおつき】郷の誤記としてさいたま市南部の岸・白幡・根岸・文蔵・辻などを当てる説(国郡志・地理志料),伊奈町大針の字大里を根拠に伊奈町一帯を当てる説などがある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」