ケータイ辞書JLogosロゴ 大庭三番村(近世)


大阪府>守口市

 江戸期〜明治19年の村名。河内国茨田【まつた】郡のうち。単に三番村とも称した。寛永10年山城淀藩永井氏領,万治元年からは旗本永井氏知行。村高は,河内国輯録では134石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに変わらず。嘉永4年に梶村が築いた200間余の囲堤をめぐり,当村など10か村と梶村との間で水論が起こったが,同囲堤の取り払い,新井路の掘り立てなどを取り決めて和談が成立した(守口市史3)。鎮守は大庭六番村の白山神社。明治9年の人口は大庭四番村・大庭六番村とともに581。同14年大阪府に所属。同19年大日村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381903
最終更新日:2009-03-01




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