ケータイ辞書JLogosロゴ 岡山(中世)


大阪府>四條畷市

 戦国期から見える地名。河内国讃良【ささら】郡のうち。天正4年に河内国に赴いたルイス・フロイスは,7月26日の書簡に「イルマン・ロレンソと予は同所(三箇)より岡山と称する他の村に赴き,又一基の十字架を建てたり。同地に於いては二十六人キリシタンとなりたり」と記し,当地における布教の様子を述べている(日本通信/高槻市史3)。またフロイスは同9年3月にも当地を訪れており,3月11日の書簡によれば,当地の聖堂には他地方からのキリシタンが集まり活況を極めた(日本年報/同前)。当地は結城氏の拠点で,天正10年2月15日付のクエリヨ書簡には「岡山はジョアン結城殿というキリシタンの領主の城であり,周囲に数か村あって,キリシタンの数は三千五百人である。領内にはすでに異教徒が一人もない」とあり,天正初年に河内国のキリシタン布教の中心地として急速に繁栄し,信徒数は増加の一途をたどった(日本年報/四条畷市史2)。しかし天正10年本能寺の変で織田信長が倒れると,翌11年結城如安は移封され,当地の聖堂も大坂に移された。さらに翌12年には小牧・長久手の戦いで結城如安が戦死し,当地方のキリシタンは姿を消した(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7381976
最終更新日:2009-03-01




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