ケータイ辞書JLogosロゴ 加治村(近世)


大阪府>貝塚市

 江戸期〜明治22年の村名。和泉国日根郡のうち。岸和田藩領。村高は,元和5年の村高書上(要家文書)によれば248石余,四郡高附では正保2年293石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに313石余。慶長年間と推定される実報院諸国檀那帳(熊野那智大社文書/広島県史資料編5)には,「一,こき庄ノ内壱円……一,かじ」と見え,当村を含む近木荘一円の熊野先達職を実報院が有していたことがわかる。当村の年貢率は,享保6年では6割6分,ほかに8割6分から9割2分という記録もある(要家文書)。当村は脇浜村・畠中村とともに脇浜新町を形成した(五畿内志)。「鬼洞泉州志」によれば農産物に木綿・大豆・裸麦・小麦・菜種・瓜・茄子があり,「五畿内志」には五加【うこぎ】・近木櫛の産地とある。鎮守は嘉治穂神社。神社はほかに出口神社。両社とも明治40年11月戎神社に合祀された(全志5)。寺院は浄土真宗大派称名寺。明治9年の人口294。同14年大阪府に所属。同22年北近義【きたこぎ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7382136
最終更新日:2009-03-01




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