ケータイ辞書JLogosロゴ 上之郷村(近世)


大阪府>泉佐野市

 江戸期〜明治22年の村名。日根郡のうち。岸和田藩領。村高は,四郡高附によれば正保2年1,692石余,「天保郷帳」1,826石余,「旧高旧領」では1,831石余。当村は他村に比して大村であり,和泉国細見図(京大国史研究室所蔵/泉佐野市史)には「上之郷内」として母山【もやま】・机場【つくえば】・女方【めかた】・中出・下出・野口・郷田などが見え,「石橋泉州志」にも同様の記載がある。これらの集落名は史料によって若干の異同があるが,江戸期にはこれらの集落から当村が構成されて1村扱いを受けていたものと思われる。日根野村との間で山境についての出入りが生じていたが,慶長13年代官ら立会いのもとで境界が決められている(目家文書/泉佐野市史)。文政10年の上之郷田地水掛に付覚書(川上家文書/同前)によれば,当村の水掛りは池懸り・淵懸り・井懸りなどに至るまですべて村全体で取り締まっていた。物産は大麦・小麦・木綿など。鎮守は式内社と伝える意賀美神社,寺院は浄土真宗興正寺末華光山正楽寺がある。明治9年の人口1,482。同14年大阪府に所属。同22年市制町村制施行により自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7382355
最終更新日:2009-03-01




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