ケータイ辞書JLogosロゴ 郡戸郷(中世)


大阪府>交野市

 室町期に見える郷名。河内国交野郡のうち。応永26年に書写されたという河内国小松寺縁起(続群27下)に収められた久安元年2月日の近衛天皇綸旨には「郡戸郷」と見え,当郷が小松寺修二月会の経費の一部を負担した旨が記されているが,この文書は久安年間のものとは思われず,検討を要する。その後「経覚私要抄」長禄2年9月28日条には「コウツ(郡津)ト云里ヲハ悉被焼払了」とあり,石清水八幡の神人が下知に従わず新関を立てるなどの行動に及んだため,幕府は畠山氏などに出陣を命じ所々の神人の地を焼払ったりしたが,当村もまた焼き払われたことがわかる(枚方市史6)。天正11年8月朔日の豊臣秀吉判物には「河州交野郡郡戸村百三十三石六斗」とあり,片桐加兵衛(貞隆)に当村など1,033石6斗が宛行われている(片桐家御内書御朱印等写/大日料11-4)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7383058
最終更新日:2009-03-01




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