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- 巨麻郷(古代)とは
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![]() | 巨麻郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」河内国若江郡七郷の1つ高山寺本は「巨麻」,東急本は「臣麻」と記す「新撰姓氏録」河内国諸蕃に「大狛連 高麗国人伊利斯沙礼斯之後也」「同国溢士福貴王之後也」とあり,郷名の由来は狛氏が居住していたことによるという(全志4)なお,「続日本紀」養老4年6月27日条に見える「河内国若江郡人正八位上河内手(午)人刀子作広麻呂」は狛人であり,高麗剣の製作を当郷において行っていたと推定される(地名辞書)また,「延喜式」神名帳に「渋川郡六座」の1つとして見える「許麻神社」が,現在の八尾【やお】市の久宝寺にあるなお,建永2年7月8日の僧深慶某寺領注進状に「一,河内国末寺久宝寺〈若江郡狛郷〉」と見え(正木直彦氏所蔵文書/羽曳野市史4),久宝寺はもと巨摩荘と呼ばれていたという(全志4)「地名辞書」は,当郷が「和名抄若江郡に隷せしめたるは謬れり,地形亦渋川に入るべし」としているが,江戸期の「五畿内志」によれば,当郷は近世における若江村の地であるという現在の東大阪市の若江北町に巨摩廃寺跡があり,当郷の比定地は,東大阪市の若江北町・若江南町付近から八尾市の久宝寺にかけての一帯と推定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」