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- 信太郷(古代)とは
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![]() | 信太郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」玉造【たまつくり】郡四郷の1つ町内真山付近の地と推定され,信太郡とともに常陸国信太郡あたりからの植民に基づく郷名かとされ(地名辞書),また「吾妻鏡」文治5年7月14日条に見える玉造郡多加波々【たかはば】城(現岩出山町葛岡【くずおか】)を古代玉造駅とみなし,その点から信太郷を真山地方とする考え(宮城県地名考)もある地元には,信太郷を「信太の目」とみ,それが「下【した】の目」「下【しも】の目」と転じ,現行岩出山町下野目となったとする考えもある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 信太郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」志太郡三郷の1つ志太郡郡家所在地と考えられ,現在の志田郡三本木町の地域と推定されている鳴瀬川南岸の三本木町桑折【こおり】は「こおり」から出た地名で志太郡の郡家のあった所と伝えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」