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- 太子堂村(近世)とは
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太子堂村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太子堂村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち中条村20か村の1つ大師堂村とも書く信濃川支流飛渡川下大井田川下流右岸地名は,聖徳太子を祀る太子堂があることによる文禄5年~慶長2年の検地帳に「大井田御太子たう村」とある元和2年幕府領,同4年高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」では中条村に含まれ,「元禄郷帳」では太子堂村130石余元禄5年中条村明細帳によれば,太子堂分の家数12・人数157,馬23,縮生産8反とある寛文4年地内に上原新田を開発,ほかに枝村塚田がある神社は諏訪社・十二社寺院は曹洞宗円通寺があったが,のち寛延3年火災により焼失,太子堂だけを残して上原新田へ移転する宝永3年鶴島新田が洪水により一村流亡し,住民が当村に移住して来た江戸中期に中条村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることもあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」