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- 高井田村(近世)とは
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高井田村(近世) 江戸期~明治4年の村名大隅国始羅郡加治木郷のうち網掛川下流右岸の平坦地に位置する村高は,文禄4年6月29日の豊臣秀吉朱印知行方目録では太閤蔵入分として259石1斗6升5合(島津家文書2/大日古),寛文4年「郡村高辻帳」「天保郷帳」でもともに259石余元禄12年当地の庄屋は是枝長左衛門(加治木郷土誌)なお,安永7年「三州御治世要覧」には,「以前高井田村為有之候由候得共,何比禿候哉,当分無之由候」と見え,江戸中期に一度潰れたと思われる文政11年「薩藩政要録」には村名が見える神社には,加治木郷の総鎮守である春日大明神社,高倉八幡宮,若宮大明神などがある(三国名勝図会・加治木古今雑撰)明治4年木田村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」