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- 垂水村(近世)とは
「垂水村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 垂水村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国加東郡のうち播磨平野東北部,加古川中流左岸地名は,当地が「風土記」に見える穂積里の塩野の一部で,各所から泉水が湧出したことによるという(加東郡誌)豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年幕府領,正保2年赤穂藩領,寛文11年からは旗本浅野氏の知行村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに217石余なお「正保郷帳」では,のちの東垂水村とともに垂水村と見え,435石余(田381石余・畑53石余)のうち浅野内匠頭領分209石余が当村で,ほかはのちの東垂水村かまた「天保郷帳」には「福田」の注記があり,同郡内同名の垂水村(新庄垂水村)と区別している社堂は大歳神社・御霊神社・薬師堂字次久田に立明明神という小祠があり,佐保明神が鎌倉山(加西市河内町)から遷座のとき,ここで一夜を立ち明かしたと伝える一説に,小部野の三郎兵衛が佐保明神を竿の先で拾い上げ,背負って東へ進んだときここで一夜を明かしたためともいうその神体を三郎兵衛が湧羅野に祀ったのが佐野神社だという近世では加古川舟運の河岸で,物資輸送に活躍した天保4年の加古川筋騒動のときは,干鰯屋千右衛門・九右衛門らが打毀にあった明治初年西垂水村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 垂水村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 垂水村(近世) 江戸期~明治4年の村名播磨国加東郡のうち加古川支流東条川中流左岸地名の由来は,地内に湧水があったことによるかもと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年幕府領,延享4年からは一橋家領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに239石余なお「正保郷帳」では,のちの西垂水村と合わせて垂見村と見え,435石余(田381石余・畑53石余)のうち浅野内匠頭領209石余がのちの西垂水村で,他の226石余が当村かまた「天保郷帳」には「新庄」の注記があり,同郡内同名の垂水村(福田垂水村)と区別している社堂は大歳神社・薬師堂明治4年東垂水村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 垂水村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 垂水村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 垂水村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」