- JLogos検索辞書>
- 塔原村(近世)とは
「塔原村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
塔原村(近世) 江戸期~明治8年の村名塔ノ原村とも書く(見稲簿)豊後国直入【なおいり】郡朽網【くたみ】郷のうち岡藩領久住【くじゆう】高原北部,大船【たいせん】山南東麓に位置するはじめ有氏【ありうじ】組千石庄屋,のち同組大庄屋に属した村高は「正保郷帳」94石余,うち田26石余・畑67石余,水損がち,「見稲簿」「天保郷帳」ともに94石余,「旧高旧領」122石余なお貞享2年の村高は122石余,村位は中(農民一揆)当村の土地関係史料には元文4年の「有氏組塔原村菱竿御検地帳」(武藤氏文書)がある享保9年の類族改では当村の類族女1明治4年大分県に所属同8年向原【むこうばる】村ほか6か村とともに有氏村に合併現在の直入郡久住町大字有氏のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」