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- 中島新田(近世)とは
「中島新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 中島新田(近世) 江戸期の村名播磨国印南【いなみ】郡のうち雁南【がんなん】新田とも呼ばれた加古川下流右岸の沖積平野に位置する地名の由来は地形からのものと思われる姫路藩領もとは,屏村という300石程度の村があったが,嘉禄元年に加古川増水のために流失寛永19年小野村・山角村・芝村・中村・里村の百姓が開発して高100石余,家15~16軒となる万治元年大洪水となり,流失助かった6家族は陰山新村を開発して移住し,村民はいなくなる元禄5年小野村・山角村・芝村・中村・里村の百姓が荒地を再開発して同8年の検地で石高6石余となるが,村民はいない(前川家文書)「元禄郷帳」には当村名が見えない村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに6石余明治初年までに加古川の川底となり,村名は消滅 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田(近世) 江戸期~明治22年の新田名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田(近世) 江戸期~明治12年の新田名頸城【くびき】郡のうち高田平野北部,潟川左岸の低平地開発以前は低湿地帯であった中谷内の新田開発により明暦元年成立はじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領村高は,「天和高帳」「天保郷帳」ともに128石余大瀁中谷内大潟四度御竿入高帳(大島家文書)によれば,天和2年の反別田8町余・畑1町,家数5(本家4・無高1)・人数34,馬4文化元年福島村ほか6か村とともに幕府領から藩領への領主替えを拒む運動を起こし,総代を江戸に送っている明治12年下中島新田と改称,あわせて中頸城郡に所属... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田(近世) 江戸期~明治12年の新田名頸城【くびき】郡のうち高田平野南部,関川と大熊川の合流点下田屋村の南西にあたるはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」30石余,「天保郷帳」では中島村枝郷とあり47石余天和3年検地帳(伊藤家文書)によれば,反別は田2町余・畑2反余安永9年村明細帳(同前)によれば,高44石余,家数11(高持8・無田3)・人数51,馬1神社は神明社明治12年上中島新田と改称,あわせて中頸城郡に所属... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田(近世) 江戸期~明治初年の村名備中国浅口郡のうち里見川中流域に位置する中島重兵衛によって大谷村の北の海岸が寛文8年から干拓が始められ,延宝4年に検地され,面積8町8反余,高41石余で大谷村のうちとされた浅尾藩領村高は「旧高旧領」では大谷村のうちとあり58石余明治初年大谷村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」