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- 稗島村(近世)とは
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![]() | 稗島村(近世) 江戸期~明治17年の村名礪波【となみ】郡五位荘のうち加賀藩領小矢部【おやべ】川右岸唐俣【とうまた】川沿いの低地に位置する慶長・元和期の古地図に見えず,寛永・正保期の古地図に初出庄【しよう】川・小矢部川の乱流地の岸渡【がんど】川の氾濫原を開拓し成立した村と推定村名の由来は「郷村名義抄」にかつて稗【ひえ】を作り,その後村立てしたためと記す村高は正保3年35石余(礪波郡高物成田畠帳),明暦2年の村御印では59石余・免6,猟船櫂役5匁,宝永年間には59石余,給人1名(杉野家文書),天保10年では97石余家数は元和5年2軒農家総数は宝永年間8戸,文政年間には17戸承応年間,当村と四十万【しじま】村の全域および下蓑【しもみの】村・荒屋敷村の一部に町立てが許され福岡町あるいは福岡新町と称した明治9年石川県,同16年富山県に所属同17年四十万村と合併し福岡町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」