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- 平石(中世)とは
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平石(中世) 戦国期から見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち長享~延徳年間のものと推定される入来院内山之手手持分帳に所見(入来文書)現在の入来町副田の小字名上副田内の一地区であり,南北朝期初見の「副田湯」の北隣地である東部山地は藺牟田火山外輪山の西方山裾に当たるところから平地に乏しいが,山間の湧水多量で谷間の隅々にまで水田が開かれている前記手持分帳は地頭入来院氏の直轄農家の耕地調査帳であり,所載の「作子孫四郎」は給田2反30代のうち,平石の水田は30代である平石を含めた上副田住民が古代から祀っていた神社は山王神社である清色村最古の重要神も山王神だったことが判明している |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平石(中世) 室町期から見える地名筑後国下妻郡水田荘のうち平礼石とも書く文安5年の水田荘田地坪付ならびに同時期の水田荘南島村在家雑免坪付に,二郎丸・犬王丸・小二郎丸の各百姓名を構成する田地が平石にある旨が記されている戦国期と推定される年月日未詳の水田老松社々辺検地帳には「ひられいし」「平礼石」と見える(以上,太宰府天満宮文書/水田荘広川荘史料)明治15年字小名調(県史資料8)に水田の字として見える上平霊石・下平霊石一帯,現在の筑後市水田のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」