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- 傍示村(近世)とは
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傍示村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち傍爾村とも書く佐賀平野中央部,筑後川支流巨勢【こせ】川の東部に位置する地名の由来は,「肥前国風土記」に防所と見え,古代防人の根拠地としての防所による(兵庫町史)佐賀本藩領古瀬【こせ】郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ともに122石余,「天保郷帳」では130石余「旧高旧領」には見えない「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ともに鍋島内記が地米高165石余を知行する成富兵庫茂安が建築した水利井樋跡がある「明治7年取調帳」では若宮村の枝村として見える |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」