- JLogos検索辞書>
- 三島郡とは
「三島郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 三島郡 明治29年~現在の大阪府の郡名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三島郡① 明治12年~現在の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三島郡【みしまぐん】 (古代)平安期に見える越後国の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 三島郡(古代) 平安期に見える越後国の郡名「延喜式」民部省に見える越後国7郡の1つ武田本「延喜式」神名帳と享保8年板本「延喜式」民部省は「ミシマ」,東急本「和名抄」国郡部は「美之末」の訓を付す貞観式の神名帳に郡名が初出することから,弘仁式と貞観式の施行の間に古志郡から分立したと推定されている「大日本法華経験記」下巻第126話に,「三島郡乙寺」の持経者から法華経を書写してもらった猿が,後に越後国司紀躬高として生まれ変わって下向したとする猿供養の説話がある同様の話は「今昔物語集」巻14第6話にも見え,「三島郡国寺」とする式内社は御島石部・物部・鵜川・多岐・三島・石井の6座が郡内に鎮座する(延喜式神名帳)また,北陸道越後国駅馬のうち三島・多太の2駅が郡内に比定されている(延喜式兵部省諸国駅伝馬条)「和名抄」は三島郡三郷として三島・高家・多岐の郷名を記す天暦4年11月20日の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)には,東大寺が越後国に所有した寺封200戸の一部として「三島(郡脱カ)五十戸」と見え,調絹50疋・調布27端・庸布50端などを納めるとある郡域は,現在の柏崎市および小国町を除く刈羽郡一帯に比定されるなお,近代の三島郡は「さんとう」と訓み,当郡とは異なる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三島郡① 当郡がいつごろ古志郡から分離したか,その時期・経過は明らかでない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三島郡①【さんとうぐん】 中世~現在の越後国・新潟県の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 三島郡【みしまぐん】 古代・近代における摂津国・大阪府の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
- JLogos>>
出典:JLogos「JLogos」