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- 南郡とは
「南郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 南郡(中世) 平安末期~戦国期に見える常陸国の郡名律令制下の常陸国茨城郡のうち国府以南の地域をさし,国府が所在するため府郡ともよばれた(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ)弘安田文には南郡として,小河・志筑・大枝・田木谷・小井戸・野寺・野田・竹原・田余・上吉影・下吉影・荒張・大谷・土田・高浜田・塩橋・市河・松延・国府寺・府郡(府中),以上総田数324町8反240歩が記載され,現在の千代田町・石岡市・小川町・美野里町・玉里村,それに玉造町北部周辺地域にあたるこのほか在庁名として13名・田数154町4反300歩,別名として7名・田数47町7反半の記載があり,他郡と比較すると最も分化した様相を示している(税所文書/県史料中世Ⅰ)嘉元田文では,国分寺が「 ![]() |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 南郡 貝塚寺内は徳川政権と結びつき,御坊(願泉寺)住職卜半氏を領主とする近世都市として存続した... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 南郡【みなみぐん】 中世~近代の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 南郡【なんぐん】 (中世)室町期~戦国期に見える郡の汎称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 南郡(中世) 室町期~戦国期に見える郡の汎称大野・直入両郡を含む豊後の南部の郡意で,海部【あまべ】郡もはじめは漠然と含んでいたが,のちには自然前記両郡に限定されるらしい永享9年8月7日の室町将軍(足利義教)家御教書に,「令進発豊後国南郡,致奔走旨,大内修理大夫注進到来」とあるのが初見(志賀文書/大友史料10)これは海部郡姫岳合戦を指すので,海部郡を含んでいる「上井覚兼日記」天正13年10月14日条に「豊後南郡入田方牢々候て」とあるのは,直入郡のことで,入田方は入田郷の入田義実を指す(大日古)この地方の大友氏家臣を「南郡衆」とよび(大友家文書録/大友史料24),天正13年9月ごろから入田義実が主魁となって,南郡衆が島津方に内通し,翌年10月島津軍を豊後に引き入れた(同前)(天正16年)6月13日の大友吉統書状に,「近年弓箭之砌,逆意之輩,南郡近辺之人等,不謂遠近,一途ニ加下知散鬱憤候」とあるのが終見(五条文書/大友史料28)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 南郡 明治12~29年の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 南郡【みなみのぐん】 中世後期の地域名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 南郡山【みなみこおりやま】 富雄川中流左岸に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 南郡元町【みなみこおりもとちょう】 (近代)昭和48年~現在の鹿児島市の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」