ケータイ辞書JLogosロゴ 安平荘(中世)


兵庫県>洲本市

 鎌倉期に見える荘園名。津名郡のうち。菅原荘ともいう。貞応2年の淡路国大田文に一院御領として「安平庄〈菅原庄トモ申,地頭領家御沙汰〉田四十丁 畠 浦一所」とある。後高倉院領荘園で,地頭職も領家が進止する一円所領であった。菅原荘の荘号はすでに平安期の康治2年8月19日付太政官牒案に,鳥羽上皇創建の安楽寿院領荘園として「壱所〈字菅原庄〉在淡路国津名郡内 四至〈東限海 南限炬口庄堺 西限黒山 北限熊岡〉」と記されている(安楽寿院古文書/平遺2519)。鎌倉期,安貞2年8月5日付七条院御領処分目録案によれば「淡路国 菅原庄〈可被進宮〉」とあり,後高倉院ののちは同院妃修明門院藤原重子の管領となり,次いで七条院藤原殖子を経て四辻宮善統親王が相伝した(東寺百合文書ト/鎌遺3772)。嘉元4年6月12日付昭慶門院御領目録にも安楽寿院領として「淡路国 菅原庄」が記載されている(竹内文平氏所蔵文書/鎌遺22661)。下って,天正14年11月3日付淡路国脇坂中務知行目録には「一,千弐百九拾石壱斗八升 あいか」と見え,羽柴秀吉の淡路平定後は脇坂安治の知行地となった(脇坂文書)。江戸期の安乎下村・安乎中田村・北谷村・宮野原村・古宮村・山田原村,現在の洲本市のうち安乎町を冠称する地域に当たる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387155
最終更新日:2009-03-01




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