ケータイ辞書JLogosロゴ 間新田分(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。文政6年木津・釜屋村の中間の地を,篠山【ささやま】の木村勘兵衛が開墾して,のち分離独立する。江戸期は釜屋村に属した。篠山藩領。郷帳類には見えない。「多紀郡明細記」によれば,釜屋村のうちで,高11石余・納米3石余,家数8,支配人は大山村(現篠山市)園田庄十左衛門。明治6年の高11石余・正租4石余,世話人木津源五郎・釜屋儀兵衛。同17年の田3町余・畑1反余,物産は米・裸麦(多紀郡地誌)。同22年今田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387164
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ