ケータイ辞書JLogosロゴ 藍那村(近世)


兵庫県>神戸市

 江戸期〜明治22年の村名。八部郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。はじめ幕府領,のち旗本宮崎氏知行。村高は,慶長10年摂津国絵図ではアイナ村551石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに552石余。元禄16年の家数79(山田村郷土誌)。領主宮崎氏の知行地であった摂津国島上郡目垣村(現大阪府茨木市)は,淀川沿岸のため洪水のたびごとに収穫を減じ,また,護岸工事のための夫役が当村に賦課されたため村民はすこぶる迷惑したという(同前)。明治16年の税地は田69町4反余・畑5町8反余・山林原野153町余,貢租1,356円,戸数100・人口459,牛82・馬1,物産は米穀と麦類(八部郡地誌)。神社は天津彦根神社,ほか3社。天津彦根神社には明治初年の農村舞台が残る。寺院は臨済宗西厳山大中寺。明治6年藍那学校開校。同22年山田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387174
最終更新日:2009-03-01




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