ケータイ辞書JLogosロゴ 鮎原荘(中世)


兵庫県>五色町

 平安末期〜鎌倉期に見える荘園名。淡路国津名郡のうち。保延2年12月26日付宣旨に「一,淡路国司使乱院領鮎原庄責己庄家事」とあり,吉祥院所司が同院領の当荘に対する国使の濫妨を朝廷に訴えている(綸旨抄/続々群17)。また,「猪熊関白記」建仁元年4月27日条によれば「吉祥院領淡路国鮎原庄」をめぐって菅原定賢と法橋定円なる者が相論したという。吉祥院は元慶4年に菅原道真が父是善を追善するため創設した寺院。承久の頃には造宮料段米が当荘にも賦課された(民経記裏文書/鎌遺2706)。貞応2年の淡路国大田文には北野(北野天満宮)御領として「鮎原庄」が見える。北野社が本家職,吉祥院が領家職を有したものらしい。田35町と畠からなり,地頭は国御家人の権守恒用であったが,承久の乱以後,恒用は守護所の下知に従わなくなったという。下って,戦国期には,大永2年9月に伊勢の御師が売買した道者株の中に「あいの原」がある(神宮文庫蔵輯古帳)。天正14年の淡路国脇坂中務知行目録には「一,弐千七百八拾四石参斗 あゆの原」とあり(脇坂文書),羽柴秀吉の淡路平定後は脇坂安治の知行地となった。江戸期の鮎原上村・鮎原中村・鮎原下村・南谷村付近に比定される。五色町南谷にある河上神社は,延喜式内小社河上神社にも比定され,藤原中期頃の木造彩色の神像を多数伝え,天文6年銘の瓦も保存されている。京都の北野神社領であったところから,今も菅原道真に関する伝説が濃厚に残っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387182
最終更新日:2009-03-01




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