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「赤坂」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

赤坂


加古川支流野間川上流域に位置する...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7387235]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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赤坂町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は高崎城下町の1町で,明治22年高崎町,同33年からは高崎市の町名となる前橋台地の南端,烏川左岸東方,高崎城大手西北部に位置する烏川あたりから台地に至る傾斜地状と窪地状および坂上台地からなる当地は榎が多いことから榎ノ森ともいわれた町域はもと赤坂村の一部で,本町の西に続き,石橋を境とする石橋の南側は和田氏の時代に給人屋敷があり,このあたりを給人町とも呼んだが,高崎城主が酒井氏の時屋敷を郭内に移し,跡地は民家に開放された当町の成立は安永2年で,名主落合七兵衛の願いにより町となった「高崎寿奈子」によれば,町の長さ2町29間5尺,「商売もの賃屋・醤油屋,其外品々」と見える(高崎市史)当町は地子銭を納める町で,天保11年の下和田村唐沢分持高帳によれば,唐沢年貢(地子銭)について「赤坂町 同(屋敷)九反弐畝廿九歩 壱貫五百文,赤坂町御門外 上田廿九歩 本免五斗五升取,上田廿八歩 下免四斗七升取」と見える(更正高崎旧事記/高崎市史)当町には恵徳寺と長松寺がある曹洞宗松隆山恵徳寺は南側にあり,寺領15石5斗の御朱印を蔵す天正末年井伊直政が伯母恵徳院宗貞尼のため箕輪日向峰に一宇を創建して恵徳院と号し,慶長3年高崎への移城にあたり,同寺を榎ノ森の北に移し,恵徳寺と号したその後酒井家次のとき,現在の地に移した開山は退院した竜山英潭(勅特賜大光普照禅師竜山英潭大和尚)という門前は竹林が繁っていたというが,正保年間には民家が建ったという(同前)なお天保11年同寺から出火,町域を全焼する大火となり,恵徳寺火事と呼ばれた赤坂山長松寺は寺領10石の御朱印を蔵すもと本町裏字金井にあり,文明年間沙門元海の開山と伝える臨済宗寺院であったが,その後,荒廃し無住となりわずかに旧跡を残すにすぎなかったのを,寛永元年興祥寺6世春喜和尚が中興し,曹洞宗に改宗して,隠居寺とし,のち現在地に移った木像の和田薬師如来は,和田義盛の持仏という和田薬師如来の安置してある部屋は,かつて前田氏が参勤交代の際に茶屋本陣のように使用したというまた庫裏の一室は寛永10年徳川忠長が切腹した部屋を移したものといわれる長松寺には長松寺ぐるまと呼ばれた水車があった元禄3年から始められたという長野堰の用水を引き入れた新井堰を四ツ屋町・赤坂町の境から取入れ,同寺北裏の滝の手前から木の桶で引き入れて水車を回した堰方奉行より許可された3つの水車の1つであるまた北側にあった観音堂は,和銅11年の創建で,永正10年石上寺音清が再興したという明治41年恵徳寺境内に移された石橋の際より南に行く小路があり,熊野大権現宮があることから,そのあたりを熊野町と呼んだ「高崎寿奈子」は同社について「御朱印,柴崎村天王領三十石之内,田地赤坂村の内,神主高井左衛門大夫,祭礼九月十九日,正月十五日,九月は幟或は屋台を並べ神輿わたる十九日早朝囃有り」と見える(高崎市史)熊野町の西隣に諏訪明神があった「更正高崎旧事記」によれば,寛元年間相模国から勧請と伝え,「榎森ヨリ巳ノ方ニアリ,神主高井左衛門,金井宿持地高崎トナリテモ本町持ナリシガ,其後赤坂町出来テ,赤坂持也」と見える(同前)なお熊野神社は高崎総鎮守で,明治40年30数社を合祀,同41年高崎神社と改称した番所はもと長松寺の門前にあり,元禄年間恵徳寺門前から坂を下った南頬に移った(高崎寿奈子/高崎市史)城下上ノ口ノ門で,明治3年廃止された木戸ノ外,坂下の町を下ノ町といい,寛文2年名主が許可をえて町家とした(高崎志/同前)下ノ町は,その両側はみな長屋・茶店で,寛文10年長松寺門脇の観音を移して観音堂を建てた場所は恵徳寺入口にあたる十一面観音を本尊とし,傍らに奪衣婆の石像がある観音堂は上野順礼33番・群馬郡順礼28番の札所で,のち恵徳寺に移った享和2年大田南畝(蜀山人)は,大坂を発し,中山道を江戸へ帰る道すがら旅日記「壬戌紀行」を記したが,そのなかで「赤坂町に書肆あり三河屋喜八といふ中山道にてはじめて書肆をみる」とあるなお木版刷の「商家高名録」には「小宮山宗七(薬種)家伝一角竜王丸小児一切よし」が見える明治初年,赤坂村の一部を編入(高崎市史)また筏場内に船頭住家5軒があったことから名付けられた五軒町も編入した(旧高崎市史)明治12年小口組製糸工場が操業開始同32年の戸数169高崎火止石油製造合資会社が明治43年創業なおこの頃長松寺住職山端息耕が子守りの児童を同寺に集め,学用品一切を給与または貸与して教育をはじめていたのち北小学校の教室の一部と教具類を借用して,かつ教員の助力を得て授業を続けた大正13年の戸数252・人口1,270山車人形は猿田彦で猿面に金の烏帽子をかぶっている

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂村(近世)
 江戸期~明治34年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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赤坂郡
「延喜式」民部省国郡表に見える備前国八郡の1つ...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂郡
当郡は宇喜多秀家の支配下に置かれていたが,慶長5年関ケ原の戦で秀家が西軍に味方して改易となり,代わって岡山へ入った小早川秀秋の領知に組み込まれた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂町【あかさかちょう】
(近世~近代)江戸期~現在の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

赤坂町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治5~20年頃までは上野を冠称赤阪とも書いた(宗国史)江戸期は伊賀上野城下町の1町で,町人地城の東,城下町の北東部に位置し,西は玄蕃町,東は農人町に接する天和年間頃の本役家57(統集懐録)下級藩士宅のほか,水上権太夫のように藩の重臣の下屋敷もあったまた,松尾芭蕉は「正保元甲子の年此国上野の城東赤坂の街に生る」(芭蕉翁全伝)とあり,現在,芭蕉の生家とされている所は農人町に続く町並みにあるその北に権太夫の下屋敷があったこの下屋敷は,正徳元年に城代家老藤堂采女の下屋敷となり別荘を設け,藩主も訪れた同所付近は,「永保記事略」によれば「江戸道見付之処」,あるいは同書正徳6年3月の条に「赤坂上り口,南の違大手申付事,同所に建石申付之」とあり,城の虎口に似た重要な地点にあるまた赤坂口は加太越奈良道が上野城下へはいる東の出入口宝暦年間頃には赤坂口に茶屋数軒が設けられ,次第に遊女が集まってきたため,茶屋の主人たちが「手足錠」の処分を受けた(上野町旧記目録)芭蕉五庵の1つ無名庵は,元禄7年芭蕉の生家釣月軒の庭内に建てられたが,芭蕉の没後城下南の愛宕山大福寺境内に移されたまた,宝暦5年頃ふたたび藤堂采女元甫が当町別邸内の六々庵に移し再形庵と改称し,その後同13年采女元福の時に農人町東出の地に移した(無名庵之記)また,明学院【みようがくいん】・金蔵院と称する真言宗醍醐派の山伏寺があった(永保記事略・上野町旧記目録)明治5年の戸数86・人口348(うち男173・女175)同22年上野町,昭和16年からは上野市に所属明治22年~昭和25年までは大字上野のうち明治期~大正期にかけて,上野町の北からの玄関口として料理旅館や大きな商家が軒を並べた明治30年前後の上野町商業税の賦課では1~20等級の商店が多かったのち交通機関の発達に伴い商店街としてのにぎわいは衰えた昭和26年の世帯数102・人口518同34年頃,丸ノ内の旧大名小路が玄蕃町から農人町東出まで突き抜け拡幅され,地内北部を通過,市道車坂長田線となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂【あかさか】
江戸時代以来の江戸城西南方にあった地域の称で,明治11年府内15区の1区名として採用された...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

赤坂町(近世)
 江戸期~明治9年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

赤坂村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
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