ケータイ辞書JLogosロゴ 浅間村(近世)


兵庫県>八鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。養父郡のうち。延宝年間の新田開発によって,延宝9年当村と宿南村の一部をもって伊佐村が一村として独立。はじめ出石【いずし】藩領(慶長18年〜元和5年和泉国岸和田藩領),嘉永5年からは幕府領。村高は,延宝9年579石余うち田379石余・畑75石余(出石封内明細帳),「天保郷帳」では「古者,浅間村・伊佐新田弐ケ村」と肩書され915石余。延宝9年の租率は,田7ツ2分・畑3ツ5分,宝暦年間の家数170・人数318(同前)。神社は,葛明神(現浅間社)。もと地内西山に鎮座,のち現在地に移転。寺院は,真言宗須留岐山浅間寺。同寺は元禄15年再建と伝える。明治14年の戸数80・人口364(養父郡勢要覧)。同22年伊佐村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387347
最終更新日:2009-03-01




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