ケータイ辞書JLogosロゴ 葦田荘(中世)


兵庫県>青垣町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。丹波国氷上郡のうち。正安4年と推定される8月12日の春日社司泰利廻文に同社領として「当社領丹波国葦田庄領家方雑掌濫訴事」と見え(祐春記正安4年8月12日条/鎌遺21188),同年8月の大和春日社司解によれば,同社は領家方雑掌の濫訴を停止している(祐春記/同前21228)。なお,領家については未詳。建武元年7月4日の大山荘地頭中沢佐綱請文によれば,当荘の名主賢忍などが濫妨していたため,中沢佐綱に庄家の雑掌への沙汰居が命ぜられ,この日佐綱が請文を提出している(仁和寺文書/大日料6‐1)。年月日未詳の丹波国葦田荘濫妨人交名注文には,兵衛太郎入道賢忍・同舎弟兵衛二郎入道寂法をはじめとして19名の濫妨人の名が記されている(仁和寺文書/古事類苑月報26)。下って,文明10年8月日の仁和寺当知行不知行所領文書目録には「一結 葦田庄」と見え,この時には不知行となっていた(仁和寺文書/香川県史8)。また,年月日未詳の某書状によれば,当荘の段銭について守護に令することが記されている(看聞日記紙背文書/図書寮叢刊)。荘域は,近世の東芦田村・田井縄村・栗住野村・西芦田村の範囲であろう。しかし,法道仙人の開基と伝える東芦田の胎蔵寺の所蔵文書目録に,細川政元や高国などの名が確認できること,さらに同じ東芦田の瑞雲寺が,細川満元の開基といわれ,その位牌を祀ることから旧芦田村南部から旧幸世村沼にかけての地域が,当荘の領域であったとも考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387353
最終更新日:2009-03-01




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