ケータイ辞書JLogosロゴ 味間奥村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと味間村の一部,貞享元年頃分村して成立。篠山【ささやま】藩領。郷帳類では江戸期を通じて味間村の一部として扱われた。村高は,天明3年高附帳・「丹波志」ともに265石余。元禄11〜12年当村と氷上郡阿草村との間に村境をめぐる争論があり,小峠坂峰から水流を境界とすることになった(元禄13年丹波国多紀郡内村附帳)。宝暦年間から「波之分」と称する別立てがあったが,天保2年頃当村に吸収されたという(多紀郡明細記・多紀郡地誌)。天明3年高附帳では,村高265石余のうち110石が波多野分となっている。同書によれば,家数59・人数267。「多紀郡明細記」によれば,租率43.5%,山役3石5斗余,家数50・人数222,牛14。神社は二村神社・熊野神社。二村神社は,各村氏子間の争いがもとで文明14年見内村二村神社から分祀したものである(多紀郡地誌)。ほかに,明暦年間創建の御霊神社がある。八上城主であった波多野右衛門大夫秀治を祀り,波多野氏の鎮護神。別当清泰山満願寺も明暦年間創立,はじめ天台宗,のち浄土宗,明治41年廃寺(多紀郡地誌・波多野家記)。ほかに寺院は,大化年間空躰仙人開基の天台宗安泰山大国寺がある(多紀郡寺院誌)。字水坂ノ坪と小峠ノ坪に鉱山があり,銅・銀鉱を採掘。字奥谷ノ坪に味間小学校分校が置かれた(多紀郡地誌)。明治5年頃文保寺分,同18年波多野源左衛門分を合併。同22年味間村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387366
最終更新日:2009-03-01




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