ケータイ辞書JLogosロゴ 安志郷(古代)


兵庫県>安富町

 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国宍粟【しさわ】郡八郷の1つ。「風土記」には宍禾郡七里の1つとして「安師里」と見える。現在の安富町域から山崎町須賀沢周辺にあたり,林田川上流域および一部揖保川流域を占める。「風土記」によれば,もとは酒加(須加)里といったが,のちに山部三馬が里長に任ぜられたので山守里と改名したという。平城宮跡出土木簡に「(表)播磨国宍禾郡山守里」「(裏)山部加之ツ支」と記すものがあるので,改名は史実とみられる。「風土記」編纂にあたって再び安師里と改称された。地名起源説話は,里名は安師川(林田川)により,安師川は安師比売神による名称とし,伊和大神が安師比売神に求婚したが拒絶されたので非常に瞋って石で川の源をせきとめ水を三形(御形里)の方へ流したので,この川には水が少ないとする。この説話で問題となるのは,安師比売神の神性神格と伊和大神の娶誂説話である。「風土記」によると宍禾(粟)郡北部が産鉄地帯であること,柏野里(産鉄地帯)・比治里・安師里が「風土記」・平城宮跡出土木簡から山部に属していたことからみて,これら山部の民は産鉄・鉄の運搬に従事する特別任務を負っていたとみられる。安師比売神は本来土地の巫女神であったが,大和の鉱業神安師神を勧請し女性化し,山部の民の守護神として,大和へ鉄を運ぶ内陸部東西道の出入口に当たる山守(安師)里(安富町三森)に祀ったと推測される。安師比売神はかかる重要な神であったから,「風土記」撰進に当たって詔命に従い嘉名として神名を採って安師里と改称したとみられる。伊和大神の娶誂説話は伊和族と地方豪族との土地占拠の争い,農民の灌漑用水の争奪,採鉄業者と農民の鉄穴流しによる灌漑用水の汚濁をめぐる争いの反映とみる見解がある。しかし,林田川上流は地質からみて産鉄地帯ではないから第3説は無理である。前の2説は「風土記」の類似説話などからの見解であるが,林田川は水の少ない川で,最上流の関には涸川があり,また巨石群が川を塞いだ特異な景観が見られる。この説話はこれらの特殊な自然景観を背景に,土地の自然事象を熟知した人々によって神話化されたものと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387411
最終更新日:2009-03-01




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