ケータイ辞書JLogosロゴ 安美郷(中世)


兵庫県>出石町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。出石郡のうち。穴見とも書く。弘安8年の但馬国大田文に出石郡のうちとして「安美郷 七拾六丁七反六拾分内〈地頭大江氏 出石三郎信政嫡女 長右衛門四郎長連妻女〉」とある。「和名抄」安美郷の郷域から石清水八幡宮領安良別宮・熊野本宮良鉢山寺・法金剛院領大内荘が分離・独立したあとの残りの部分を指す。地頭は出石郷を本拠とする出石(大江姓)信政であったが,当時すでに長長連に嫁した長女に譲られていた。また,信政は次女(安芸之助光直後家)・三女(沼田小太郎入道願西妻女)に郷田3町ずつ,四女(大内荘預所佐渡入道禅海妻女)に2町を分与し,さらに次男政光に郷内成支名8町5反,三男信継に安富名7町余,四男信長に成支名4町7反余を譲っている。残りの郷田の内訳は仏神田20町9反余・地頭給5町9反余・別名田5町6反余・福成名4町7反余・定田8町7反余。なお,郷内には養父【やぶ】郡の水谷大社(養父神社)の神田6町2反があった。下って,明応4年,但馬守護山名政豊は当郷内の円通寺大智院領の段銭を免除した(山名家譜)。なお,豊岡市三宅に鎮座する中島神社の正長元年本殿再建棟札写に「穴見三宅村五所大明神」とある(県神社誌)。当時再建された社殿が現存,二間社流造としては大阪府の建水神社両脇殿(建武元年)に次ぐもの。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387419
最終更新日:2009-03-01




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