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- 天津村(近世)とは
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天津村(近世) 江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち地名の由来は,天神社(天満宮)によるものと思われる梵珠山地西端,岩木川支流天神川流域に位置し,東方には馬ノ神山・梵珠山をはじめとする山地が広がる弘前藩領村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降の新田として見え331石余,「貞享4年検地水帳」103石余(田97石余・畑屋敷5石余),「寛保高辻帳」331石余,「天保郷帳」131石余,「旧高旧領」104石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「松ケ枝・亀甲」があり,反別は田10町9反余・畑屋敷1町5反余,このほかに永荒田が見える元禄3年には飯詰組に属し,村位は中(平山日記)神社は,天満宮があったが,同社はのち明治6年金山村八幡宮に合祀される(国誌)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数2,村況は「飯詰村狐野の南に沿ひ川代田村の東に続く」という(同前)同9年金山村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
天津村(近世) 江戸前期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」