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「余戸郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

余戸郷(古代)


 平安期に見える郷名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7387469]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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余戸郷(古代)

平安期に見える郷名「和名抄」常陸国久慈郡二十郷の1つ高山寺本には記載がない久慈川上流の山間地帯に位置する1郷となすに足らない小村の一例で,隣接の山田郷あたりまでは開墾が盛んで戸数も多く,1郷となすに充分であったが,それより以北は,徐々に開墾が行われたものの,1郷とする程には人口が増加しなかったため余戸とされたのであろう当地は久慈郡の最北端の地で,陸奥【むつ】国白河郡依上【よりがみ】郷と境を接し,陸奥国から当地へ越える山を焼山の関といった(今昔物語集)その位置は大子【だいご】町頃藤の関戸神社付近とする説が有力(新編常陸)当郷の比定地について,「地名辞書」は大子町袋田・生瀬地区をその範囲内に加えているが,大子地方は平安末期から依上保と称され,近世になっても保内あるいは保内郷とよび習わされてきた地であるから(大子町史),「和名抄」の陸奥国白河郡依上郷の地に相当すると考えてよいしたがって大子地方は当郷から除外すべきで,「新編常陸」に従って水府【すいふ】村の北部山間地から山方町北東部一帯の地に比定するのが妥当であろう

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」能登国鳳至【ふげし】郡五郷の1つ高山寺本に見えず,刊本のみに現れる律令制のもとでは,原則として50戸をもって1郷(里)が編成されているが,編戸の際,正規の郷の規模に達しない状態で郡内に残されたかなりの規模の戸群を,とくに余戸と称して,郷に準じる機能を持たせる場合があったこうした余戸の扱いを受ける戸群から出発した郷が,固有の郷名とするにふさわしい集住的様相を持つ地名や,中核となるべき集団名(部姓など)を持たない場合,余戸郷を称することがあった能登国鳳至郡の余戸郷も,その一例である郷域の比定は困難であるが,「和名抄」に見える鳳至郡の5郷の分布状態から判断して,現在の鳳至郡能都【のと】町の宇出津【うしつ】付近から鳳至郡穴水町の宇加川【うかがわ】・前波【まえなみ】・沖波【おきなみ】(中世の諸橋【もろはし】郷)付近に連なる内浦沿岸の海岸平地群に求める説(地理志料)は,仮説として検討されるべき価値を持つ...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
平安期に見える郷名婦負【ねい】郡のうち「和名抄」に見える婦負郡10郷の1つ高山寺本にはなく,刊本にのみ見える律令制下の郷(里)は50戸をもって構成されたが,そのような編戸作業の結果,1郡に1つ,山間僻地などに,正式に郷の規模には達しない小集落が郷に準ずる存在として設定される場合があったこれが余戸であり,郷とは区別して取り扱われたが(出雲国風土記),戸数の増加など,その後の条件の変化によっては郷に昇格し,その際,固有地名をもって称せられる場合と余戸郷という名称が与えられる場合とがあった本郡の余戸郷の場合,遺称地もなく,所在地は不明であるが,その成立の事情からして,山田川・室牧【むろまき】川・野積川・久婦須【くぶす】川などの上流,郡南の山間渓谷地帯のいずれかに位置したものであろう「地名辞書」は岡本郷の余戸とし,郡北の海辺に想定するが,これは疑問である...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」能登国珠洲【すず】郡五郷の1つ高山寺本に見えず,刊本のみに現れる律令制のもとでは,原則として1郷(里)は50戸をもって編成されているが,編戸のおり,正規の郷の規模に達しない状態で,郡内にかなりの規模の戸群が残された場合,とくに余戸と称して,郷に準ずる機能を持たせることがあったこのような余戸の扱いを受けた戸群から出発した郷が,固有の郷名に採用するにふさわしい集住的様相を持つ地名や,中核となるような部姓などの集団名を持たない場合,余戸郷と称することがあった能登国珠洲郡の余戸郷も,その一例である現在の珠洲市飯田町付近とする説(地理志料)もあるが,余戸集団が比較的人口密度の希薄な地区に多いという条件から考えて妥当ではなく,珠洲市北東端の三崎【みさき】町一帯に比定する説(珠洲市史)の方が説得力に富む...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
 平安期に見える郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」常陸国行方【なめがた】郡十七郷の1つ高山寺本には見えない「新編常陸」は江戸期の小幡・行戸の2か村にあて,弘長2年の将軍家政所下文に見える「雨見」が余戸の転訛であるとしている「地名辞書」は「郡郷考」で雨見にあてているのは地形に合わないとし,現在の潮来【いたこ】市延方・江崎・水原に比定するが,疑問北浦町小幡に堂目木古墳群・ドンビン塚古墳群や頼江遺跡・かきの木遺跡(土師器・須恵器),同村行戸に十ケ沢南・同北遺跡(土師器・須恵器)などがある小幡の鹿島神社は余戸神社とも称される当郷の一部は中世には小幡郷へ発展したものと思われ,現在の北浦町小幡・行戸のあたりに比定する「新編常陸」の説が妥当であろう...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
山本郡の余戸に発した古代郷名出羽国山本郡余戸郷(和名抄)元和古活字那波道円本では平鹿【ひらか】郡に余戸をつけ,高山寺本は原則的に余戸を記さず,この山本郡の余戸郷はない大曲【おおまがり】市内小友【うちおとも】に上余目・下余目などの遺名がある実情としてこの辺は余目口とでもいうべき所に当たるから,郷域は内小友から外小友に及ぶ川西の地帯である遺名に気づかなかったらしい「地名辞書」は「南楢岡,小友強首などに当たるごとし」とするが,おおむね当たっているなおこの山本郡余戸は,日本国内で最北の余戸になり,山本郡は余戸を構成する戸令為里条解釈が主流をなしていた平安初期までの段階で建置されたことの証左ともなる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
山本郡の余戸に発した古代郷名出羽国山本郡余戸郷(和名抄)元和古活字那波道円本では平鹿【ひらか】郡に余戸をつけ,高山寺本は原則的に余戸を記さず,この山本郡の余戸郷はない大曲【おおまがり】市内小友【うちおとも】に上余目・下余目などの遺名がある実情としてこの辺は余目口とでもいうべき所に当たるから,郷域は内小友から外小友に及ぶ川西の地帯である遺名に気づかなかったらしい「地名辞書」は「南楢岡,小友強首などに当たるごとし」とするが,おおむね当たっているなおこの山本郡余戸は,日本国内で最北の余戸になり,山本郡は余戸を構成する戸令為里条解釈が主流をなしていた平安初期までの段階で建置されたことの証左ともなる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
平安期に見える郷名「和名抄」海部【あま】郡四郷の1つ「全戸」と記されているが,「続風土記」「地理志料」「地名辞書」ともに「全戸」は「余戸」の誤写というなお当郷名は高山寺本には見えない「続風土記」は当郷を旧衣奈【えな】・由良2荘の地,すなわち現在の由良町付近に比定しており,「地理志料」も現在の由良町阿戸は余戸の遺名であるといい,同町付近に比定している一方「地名辞書」は日高郡余戸郷をこの付近に比定し,当郷を,現在の和歌山市木ノ本・榎原・古屋・次郎丸・栄谷・土入【どうにゆう】・松江などの一帯に比定しているが,詳細は不明...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
出羽国河辺【かわべ】郡余戸郷(和名抄)具体的地名は伝わらないこの郷は河辺郡の余戸が正式郷となったもの余戸は郡の辺隅で山谷阻険,地遠人稀のところに立地するものなので,雄物【おもの】川と日本海にはさまれた,浜田から勝平山麓あたりに比定されてきたしかし岩見川・三内川上流地域の山村である可能性が強い「地名辞書」によると建久元年(文治6年)の大河兼任の乱の際の「出羽国海辺庄」(吾妻鏡)について,海辺【あまべ】と余戸を通わす考えや,海辺を河辺の文字の誤りとする考えもあるが,この海辺荘は田川郡海辺荘とするのが妥当であろう...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

余戸郷(古代)
出羽国河辺【かわべ】郡余戸郷(和名抄)具体的地名は伝わらないこの郷は河辺郡の余戸が正式郷となったもの余戸は郡の辺隅で山谷阻険,地遠人稀のところに立地するものなので,雄物【おもの】川と日本海にはさまれた,浜田から勝平山麓あたりに比定されてきたしかし岩見川・三内川上流地域の山村である可能性が強い「地名辞書」によると建久元年(文治6年)の大河兼任の乱の際の「出羽国海辺庄」(吾妻鏡)について,海辺【あまべ】と余戸を通わす考えや,海辺を河辺の文字の誤りとする考えもあるが,この海辺荘は田川郡海辺荘とするのが妥当であろう...

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