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- 余部郷(中世)とは
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![]() | 余部郷(中世) 室町期に見える郷名板東郡のうち「和名抄」に見える板野郡十郷の1つ「全戸【あまるべ】郷」の遺称とも考えられるが未詳応永19年8月18日に行われた北野社一切経供養のため書写された京都市大報恩寺所蔵の北野社一切経の奥書に当郷名が散見し,大般若波羅蜜多経巻369に「為先師阿闍梨良村,乃至平等利益,于時応永十九〈壬辰〉卯月十日書写畢,阿州坂東之郡撫養島余部郷洲崎村西福寺住侶 金剛仏子良禅」,大乗入楞伽経巻1に「于時応永拾九〈壬辰〉卯月廿四日,於北野如法道場,阿州坂東郡撫養島余部郷洲崎西福寺住侶書写畢,金剛仏子良禅」とあるほか,大般若波羅蜜多経巻363・367,大乗入楞伽経巻4,阿闍世王問五逆経,浄飯王般涅槃経,仏説三摩竭経,瑠璃王経,阿毘達磨大毘婆沙論巻184にもほぼ同様の記載がある(大日料7‐16)なお現在鳴門市撫養町斎田に元和6年(一説に寛文4年)の開基と伝える西福寺があるが,当郷内の西福寺がこれにあたるか否かは未詳現在の鳴門市東部と推定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」