ケータイ辞書JLogosロゴ 粟鹿(中世)


兵庫県>山東町

 鎌倉期〜室町期に見える地名。朝来郡のうち。弘安8年の但馬国大田文に「粟鹿大社〈当国二宮〉百丁七反二百廿六歩〈領家染殿法印跡 地頭島津常陸入道〉」とある。式内社粟鹿神社を中心に「和名抄」粟鹿郷域が和賀荘とともに荘園化したもので,田地の内訳は粟鹿大社定田52町余・常荒流失2町2反余・仏神田32町余・人給14町4反余。但馬国大田文のこの部分の記載は建久9年百姓注文によるもので,遅くとも平安末期頃には成立していたとみられる。室町期,応仁2年3月,東軍の丹波国長九郎左衛門尉・内藤孫四郎らは竹田城主太田垣土佐守上洛の留守に乗じて「一品,粟鹿,礒部」の方面に進入,太田垣の同名新兵衛尉らがこれを迎え撃ったという(応仁記/群書20)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387544
最終更新日:2009-03-01




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