ケータイ辞書JLogosロゴ 粟鹿村(近世)


兵庫県>山東町

 江戸期〜明治22年の村名。朝来郡のうち。元和元年頃からは幕府領。村高は,「但馬国知高帳」1,079石余,「国高一紙」「天保郷帳」ともに1,116石余。当村は田中・西地・西谷・比へ・東の5地域で構成。当勝神社・住吉神社は粟鹿神社と同じく但馬開発祖神を祀る宮として四隣に有名な宮で,創建は崇神天皇の時代という。ほかに天正6年修復と伝えられる水谷神社があり,社殿の後ろの小丘を祭神の神墓とし,事ある前にこの墳墓が鳴動するという神墓鳴動伝承がある。鹿園寺は天徳元年慈恵大師の開創といい,もと天台宗で比叡山になぞらえ七堂伽藍が並び,山容を誇ったが,その後衰退,のち真言宗として復興したと考えられる。当村を代表として粟鹿地方各村は,文政2年・同4年・天保6年・同10年・安政2年に生野代官所へ愁訴を繰り返している。明治6年四辻に粟鹿尋常小学校開校。同22年粟鹿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387545
最終更新日:2009-03-01




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