ケータイ辞書JLogosロゴ 家島(中世)


兵庫県>家島町

 鎌倉期から見える地名。播磨国揖東【いつとう】郡のうち。当地は瀬戸内航路の要衝にあり,治承4年3月,高倉院は厳島参詣の際,当地を通っている(厳島御幸記/群書18)。下って,天正15年7月九州へ下向する途中の細川幽斎は,21日の明方を待って船を出し,家島をめぐって「いかはかり船よそひして漕よせむ我家島と思はましかは」と詠じている(九州道の記/同前)。翌天正16年6月6日付で島津義弘は,家久に上洛途次の報告をしているが,それによれば義弘一行も,備前牛窓から当地を経て摂津兵庫島に向かっている(島津家文書3/大日古)。この間,鎌倉末期の応長元年12月15日付石清水善法尚清処分状写には,別相伝領の1所として「播磨国継庄 同国家島別符 同国船曳庄」とあるが(石清水文書6/同前),この別符のことは未詳。ただ,この数年前嘉元2年10月11日付の藤原氏某家地売券に「はりまのくにいえしまのへつふ」と見え,もし売地に違乱のあった場合,この別符の地頭得分で弁済する旨契約している(東寺文書2/同前)。その後,「兵庫北関入船納帳」に文安2年正月2日入船分として「家島 ナマコ二百合 百廿文〈正十日〉助大夫 孫四郎」とあり(灯心文庫蔵),また,「蔭涼軒日録」長享2年8月1日条によれば,家島より毎日柴が相国寺鹿苑院へ納入されていたことが知られる(大日本仏教全書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387584
最終更新日:2009-03-01




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