ケータイ辞書JLogosロゴ 家原村(近世)


兵庫県>社町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国加東郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和3年幕府領,正保2年赤穂藩領,寛文11年旗本浅野氏の知行,のち小野藩と旗本浅野氏の相給。村高は,「正保郷帳」726石余うち田644石余・畑82石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに744石余。村高のうち171石余は小野藩領。宝永年間浅野氏は当村に知行所支配の陣屋を設けた。「播磨鑑」には,「旗本浅野佐兵衛の陣屋あり。江戸屋敷は小川町なり。留守安達文左衛門,代官長尾新助」とある。寺院は臨済宗大悲山観音寺。同寺ははじめ湯谷山と号し真言宗に属し,旗本浅野氏が陣屋を置くとその香華所となる。嘉永元年四十七義士の石碑を建立し,寺禄12石を付与され,毎年12月14日に仏事を執行する。他の堂宇は薬師堂・毘沙門堂。神社は大歳神社・御霊神社・稲荷神社。御霊神社では,正月2日と9月12日に人身御供の伝承を有する「宮だち」と呼ぶお頭神事が行われる。当村は「風土記」にいう穂積里の塩野に比定され,古来塩泉が湧出する。明治15年の戸数89・人口418。同22年社村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387588
最終更新日:2009-03-01




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